瀬木直貴スペシャルインタビュー

動物福祉に特化し世界からも注目されている福岡県大牟田市に実在する動物園を舞台にした人間ドラマ「いのちスケッチ」の公開から5年が経った。普段は全国を飛び回る生活の中でも、大牟田を愛してやまない「瀬木直貴」監督。

 ーーー  今、なぜ、大牟田で映画を撮るのか。

「失意のどん底から不死鳥の如く羽ばたく再生の物語」

大牟田の再生を、映画という切り口で鼓舞しているのかもしれない。
我々大牟田市民は、そのメッセージをどう受け取り、
どのように生かして行けばよいのだろう。
大牟田の魅力を今一度、映画の撮影を通して感じたい。 思い起こしたい。
映画のクランクインを前に、僕(ナガイD)はその想いを聞いた。

ナガイD :
本日は、劇場用長編映画『オオムタアツシの青春』の監督・瀬木直貴さんをお迎えしてお話をお伺いして参ります。よろしくお願い致します!

瀬木監督 :
はい! よろしくお願いします。

ナガイD :
まず、大牟田市を舞台にした映画『いのちスケッチ』から約5年が経ちます。

瀬木監督 :
5年経つかあ~

ナガイD :
経ってますね(笑) 今作もまた撮影地に大牟田を選ばれたということで、市民の盛り上がりをひしひしと感じています。

瀬木監督 :
盛り上がっていますね。

ナガイD :
前作『いのちスケッチ』を撮影され、リリースされたときの反響などはいかがでしたか?

瀬木監督 :
大牟田の皆さんにお世話になりとても愛していただいた映画を、できるだけ多くの人たちに観ていただきたいと考えました。
全国で、劇場でご覧いただいた数は5万8,011名、DVDなどの再生回数は約3万5,250回という数字が出ています。さらに、首都圏やこちらのKBC九州朝日放送などでテレビ放映した際、視聴率から算出された視聴者数は約132万人ということがわかりました。現在も、国内および北米でAmazonプライムより配信されており、100数十万人の方々に観ていただいています。
これらの数字の評価は客観的にはわかりませんが、僕自身は「もっとできたな」っていう感じがするんです。
量・質ともに、もっと大牟田及び大牟田の魅力を観客に届けることができたのではないか、という反省があります。コロナ渦はさておき、いろいろやれなかったことがあるのです。
その一つは、全国でご活躍されている大牟田市出身の諸先輩方がたくさんいらっしゃるのに、そのような方々へ「大牟田の映画です」というプレゼンテーションがちゃんとできなかったことですね。タイトル『いのちスケッチ』に「大牟田」が入っているわけではなかったので、公開しても「大牟田の映画だ」とはわからないんですよ。そこに反省がありました。

ナガイD :
今作に「オオムタアツシ」という名前が入るのは、そのような想いがあったからですか?

瀬木監督 :
そうですね。『いのちスケッチ』が、ビジュアルもしくは音声で、どれぐらいの生活者の皆さんにリーチしたかを算出すると、2,400万回程度、何らかの形で触れていただいていることがわかっています。ところが、「大牟田の映画」ということには繋がっていない。
ですから、今回はタイトルに「オオムタ」という響きを入れたかったのです。そうすると、テレビやラジオで聴くだけでも、全国の大牟田出身の皆さんが故郷を振り返ってくれるんじゃないかなと思ったんです。
そのような想いから、『オオムタアツシの青春』というタイトルに決めました。
けれども、マスメディアの皆さんからは、「監督、これ仮題ですよね?」「仮のタイトルですよね?」って言われるんですよ(笑) 今もまだ、言われます。僕は大真面目にやっているのに。
大仁田厚さんというプロレスラーもいますが、何の関係もございません(笑)
そもそも、「オオムタアツシ」という人物が主人公の映画でもないんですよ、そこは、完成した映画を見てのお楽しみということですが。

ナガイD :
監督は日本各地で映画を撮られていると思いますが、2回も大牟田市を選んでくださった理由をお聞かせください。

瀬木監督 :
映画というのは大事業なので、僕個人の想いというより、多くの市民の皆さんと交流し、輪が広がって、「一緒にやりましょう」ということだと思います。選んだ・選ばれたということではなく……

ナガイD :
気運……

瀬木監督 :
そうです。出逢い・相性などがありますよね。

ナガイD :
監督は普段から、大牟田の飲食店を愛してくださっているとのことですが、大牟田にはどのような印象・想いを抱いていらっしゃいますか?

瀬木監督 :
僕が大牟田に初めて出会ったのは、約20年前です。大牟田出身の友人が「故郷を案内したい」というので、こちらに連れてきてもらったのが最初でした。柳川市で鰻を食べてから大牟田市に入り、料亭『新みなと』さんのビヤガーデンで一杯飲みました。その頃は炭鉱電車のレールが残っていたので、夜、映画『スタンド・バイ・ミー』みたいな気分で歩いた記憶があります。
僕の故郷は三重県四日市市、「石油化学の町」と言われている町ですが、そこに「すごく似ているなあ」と感じました。大牟田は、矢部川を越えて有明沿岸道路を走ってくると、右に左にかつての石炭コンビナートが見えてきますよね。四日市も、鈴鹿川を越えると左右に石油化学コンビナートが出てくるのです。
柳川から大牟田に入ったとき、自分がどこにいるのかわからないくらいクラクラしてしまったのです。自分の故郷と二重写しになった……というのが、最初の印象でした。

二回目の接点は、とんこつラーメン発祥の地である久留米市で撮った映画『ラーメン侍』(2012年公開)でした。その作品の一部を、白川小学校の前の古い住宅地で撮影しました。
そうして、三回目、『いのちスケッチ』を撮らせていただくことになったわけですが、僕にとってはただ「故郷に似ている」というだけではなく、それ以上に魅かれるものがありました。
それは、炭鉱の町であったという歴史です。それぞれの町に、公害や事件・事故など「影」の部分があると思いますが、その町の「光」の部分を自分なりに探していくとすごくおもしろかったのです。
大牟田出身の現役の漫画家は25名、作家は6名いらっしゃいます。人口10万都市・20万都市で、それだけの文化人を輩出しているというのはなかなかないことなんです。
1965年(昭和40年)のデータによると、当時この町に貸本屋66軒、新刊を売る書店が17軒あったそうです。この町にそれだけの本屋があった……ってどうですか?(笑) おそらく、労働者の皆さんが漫画や雑誌を読んだり、(三井関係で)遠方から来たエリートの人たちが書物でよく勉強したりということがあったのでしょう。
つまり、炭鉱の町であったという歴史の厚みは、文化の厚みとしてもしっかり遺っているのですね。僕はそこに魅かれました。
また、人口10万都市に市営の動物園があるということにも驚きました。しかも、開園80年以上が経過している、つまり、第二次世界大戦中に作られているのです。
そのような大変な時代に開園できたというのは、石炭による経済的な発展・繁栄があったためでしょう。
炭鉱の町を色に例えれば、一般にグレイ・茶色・黒と言われることが多いです。しかし、暗い影のイメージではなく、明るい部分に目を向けると、大牟田には他の町にはない魅力があると思えるのです。

ナガイD :
大牟田が抱える社会問題に対して、映画という切り口からアプローチするとしたら、これからどうあるべきとお考えになりますか?

瀬木監督 :
そこは、僕の役割ではないかもしれません。ただ、映画って、その町の「魅力の発信に貢献する」のかもしれませんが、その町が持っている課題に、映画というメディアを通じて「何らかの処方箋を出してあげる」ということも、できるような気がしているんです。『オオムタアツシの青春』は正面切って社会問題に向き合う作品ではないですが、それを意識しているので、映画の中にヒントがあるのではないかと考えます。
それは、ご覧になった方に判断していただければいいかなと思います。

ナガイD :
それでは最後に…… 今回、地元のキャスト・スタッフ・エキストラ・ボランティアなどが多く参加するとのことですが、特に、若い方へのメッセージをいただければと思います。

瀬木監督 :
まず、関わってくださる皆さんは若い方が多いです。自分の中では「若い人材の発掘」というのもテーマにしています。それは、僕はこの町に関わり映画を撮らせていただくことで、何らかのプラスの「レガシー」をきちんと残していきたいと思っているからです。
ですから、映画作品として残るということだけでなく、「文化を作っていく」「情報を発信していく」というエクササイズとして多くの方に体験してほしいと思っています。
大牟田市役所の方々と相談する中でも、今回の映画は、できるだけ若い人材を発掘する、スタッフ・キャストもできるだけ大牟田市、もしくは福岡県出身の方たちで構成していくということを目指しています。

僕が大牟田で映画を撮るのは、たぶん今回で終わりです。
けれども、今回一緒に映画を作った若い人たちが、大牟田で次の文化的な活動を起こすきっかけになればと思っています。

ナガイD :
ありがとうございます!映画『オオムタアツシの青春』、完成を楽しみにしております!

瀬木監督 :
まだ1年くらいはかかりますけどね(笑) ありがとうございました。

CREATED BY

DIRECTION / NAGAI.D
WRITTING  / RANCO KOMIYAMA山本旅水堂
PHOTO   / TETZ YOSHIDA .SD